思い起こせば、脊髄圧迫症状だと当てはめることができるものはいっぱいあったんですが、本当にこれはヤバいと思ったのは、東日本大震災が起こる前の2011年のお正月休みのある日のこと。たまには昼間っから飲んでしまえと、スパークリングワインを持ってきて一生懸命開けようとしたんですが、手に力が入らなくて栓を開けられなかったんです。身長体重が全盛期のマイクタイソンと同じ180cm90kgの巨漢です。(あ、もちろん、筋肉の量が全く違うんで、私の場合はただのデ〇ですが(苦笑))握力も、最高で左右60kgありましたから、栓を抜くことが出来ない自分が信じられませんでした。

以前から頭を後ろにそらすとビキビキっと手に電気が走るような感覚があったんですが、手の力が入らなくなり始めてからはその電気が全身に走るようになったのも非常に怖かったです。 ヘルニアかな?という予測は立てていましたが、東京福祉大学の系列校で、医学系の科目を教え続けていましたので、パーキンソン病とかALSとかいった神経難病も頭をよぎりましたので、病院にかかることを決意しました。

どこの病院にするか?実は東邦大学医療センター大森病院の門前薬局で薬剤師をしていましたので、最初からそこにかかるという選択もありましたが、特別初診料がもったいないというセコイことが頭をよぎっちゃったんですね(笑)。近所で検索してみたところ、整形外科も脳外科もあってMRIを持っていて特別初診料が掛からない病院があったんですよ。それが、いすゞ病院です。

1月中旬に初めてかかりました。初診のアンケートに自分の症状を書いて提出する際に「何科の受診を希望ですか?」とたずねられました。が、正直、何科が正しいのかが分からなかったんで「申し訳ないですが、こういう症状で来た場合何科からかかるのがいいのでしょうか?」と逆に聞いたところ、医師のところに相談しに行ってくださり、『確かにいろいろな理由が考えられますが、まずは整形外科的な問題からつぶしていきましょうか?』と、実はひそかに自分も思っていたことを提案して下さったので、整形外科のA先生にまずはお世話になることになりました。A先生は、とても落ち着いた感じのあるベテランの風格を備えた素敵なDrという印象が残っています。

初診時に「手に症状が出ているので、上の方からMRIを撮影していきましょうか?」と検査の方針を示していただき、頚椎→胸椎と二回に分けてMRIを撮っていきました。撮影の後は必ずDrに見解をお聞きすることが出来ました。頚椎のMRIを見た時には「確かにヘルニアのようにはみえるけど、これでそんな手の症状がでるかなぁ?」とのこと。そして衝撃的だったのが胸椎のMRIを見た時のDrのセリフ。私の目にも明らかに脊柱管の中にボコボコしているものがあり、脊髄がとても可哀そうな感じになってたんですが、そのボコボコを見てぼそっと 「これ・・・・・ヘルニアかなぁ?」・・・・ え?続きは? え?先生、それ、何だと思ってるの? とでかかったのですが、そのボコボコが何かの見解を聴く前に「これは、一度大学病院等で脊椎の専門家に診てもらいましょう」と、ご提案いただき、東邦大学に紹介状を書いていただくことになりました。

そして、東邦大学医療センター大森病院初診の日。当時准教授でらっしゃったT先生に診ていただくべく診察室へ。ハキハキとした笑顔の素敵なDrだというのが第一印象でした。この先生は頼りになる!と安心した矢先、MRIの画像を見た瞬間にどこかで聞いたことあるセリフが聴こえてきました。 「これ・・・・・ヘルニアかなぁ?」・・・・  え? また? で、続きは?と思って、今度こそ聴こうと思ったのに、T先生は矢継ぎ早に「清水さん。これが何かを特定するために、検査入院しましょう」とご提案いただきました。 東邦大学では、電子カルテシステムと連動して検査室の予約もDr本人が取れるようになっています。その検査室の予約状況を見て「清水さん、来週開いてるんで、来週の月曜日からの入院にしましょう」と先生が。 早急にやっていただけるのは大変うれしいのですが、診察したのは木曜日だったと記憶しているので、来週の月曜日って4日後。さすがに「会社に許可をもらう必要がありますので」とお伝えしたところ、「じゃぁ、その翌週を押さえますね」と(苦笑)。

ベテランの医師二人が口をそろえて「これ・・・・・ヘルニアかなぁ?」・・・・ がどうしても怖くて、会社には完全に事後承諾という形で休みをいただくことにしました。

そして、検査入院。 毎日MRIやらCTやらも撮影しに行きましたが、メインイベントは脊髄造影検査。脳脊髄は、傷つかないように三枚の膜でおおわれています。そして外からの衝撃から守るためにその膜の中に脳脊髄液と呼ばれる液体が入っており、その中に脳脊髄は浮いているイメージです。 脊髄造影検査は、その液が入っているところに注射針を刺して造影剤を入れ、それがきちんと流れるか?を調べる検査です。

って、言うのは簡単なんですが、実際にやるとなると怖いのなんの。麻酔はかかっているけど局所ですから、周りが何をやっているか全部聴こえます。 検査台に背中を丸めて横向きに寝かされ「じっとしててくださいね、今から針が入ります」。麻酔が効いているので痛くはない。 痛くないから今どのくらい針が刺さってるかの感覚もない。 色んなことを想像しました。いまくしゃみとかしちゃったら、脊髄にぶすっと針が刺さるんだろうな とか、 くしゃみまで行かないまでも、呼吸の動きですら針がぷすっと刺さるかもしんないじゃん?とか。 虫の息で針を早く抜いてくれるか、今お医者さんが見ているモニターを俺にも見せてくれるかしてくれーーーー と思っている時に「じゃぁ、今からまず液を抜きますね」と。予め検査のために少し抜いてから造影剤をいれますと説明されていたので、予定通りではあるんですが、要は今まさに動いちゃいけないんだよっていう合図すよね? 早く抜いてくれーーーー とさらに呼吸は浅くなります。 無限大の時間が費やされたと感じましたが、きっと一分も経ってないと思います(笑) そしてその後造影剤が注入されるわけですが、何とも言えない間隔。 内側から全身がぐっと拡げられるような、そんな気持ち悪さが一瞬よぎりました。 その後やっと針を抜いてもらえ、あとは検査台に寝ているだけで終わりました。 出来れば、二度とやりたくないですね。 あれは(苦笑)

その検査が明けた翌日だったでしょうか?正確には覚えていないんですが、デイルーム(入院患者やお見舞いの人が過ごす共有スペース)で、同室の方とお話をしていた時にT先生が通りがかったんですね。急いでいる風でもなかったですが、おそらく別室でやることがあったのでしょう。すたすたと、歩きながら私を見つけたT先生は立ち止まらずに、「あ、清水さん、後縦靭帯骨化症という病気がでてきましたよ」とおっしゃり、そのまま立ち去ってしまわれました。 あ、もちろん、その後、先生が時間を撮ってくださり、ゆっくりと説明をしてくださいましたが、 最初の告知はこんな感じでした(笑)

で、実は偶然にも、私は後縦靭帯骨化症という病気を知っていました。学校で教えたことはなかったんですが、ライフワークのひとつである、精神保健福祉士国家試験解答解説集(へるす出版)の執筆をしていた際に、国家試験の問題として出ていたので解説の文章を書かざるを得なかったからなんですね。

私が知っていた知識は、

・後縦靭帯骨化症がどんな病気であるのか?

・公費負担の対象であり、医療費が軽減されるかもしれない

・いざ、要介護状態になったら自分の年齢でも介護保険が使える

 です。 多くの方はこういうことを知らないので、告知を受けると非常に悲観的になるようですが、私は「死ぬ病気じゃないし、福祉支援も充実しているから、頸のヘルニアと診断されるよりもラッキー」とさえ思うことが出来ました。知っているというのは大きな武器になるんだなと実感することが出来ました。

手術は4月に頚椎、11月に胸椎をすることに決まりました。 この時まだ震災は来ていませんので、自覚症状から診断まで約2ケ月程度でしょうか。こんなに早く診断が下ったのは、

・最初から東邦大学にかからずに、中堅のいすゞ病院で素早く外来でもMRIが撮れたこと、

・いすゞ病院のA先生が、自分のところに患者を囲い込んで儲けてやろうと考える悪徳医師ではなく、適切に紹介をしてくださったこと

が大きな要因だったと思います。お二人の素晴らしいDrに出会うことが出来て、心の底から感謝しています。

この後のお話はまた別の機会に。